沿革

MMCの沿革

MMCは2000年にそれまでの駿台マスコミクラブ(SMC)と明大マスコミ会が統合して誕生しました。

駿台ジャーナリストクラブ 昭和会マスコミ部会
- >>設立コラムへ >>設立コラムへ
1982 SJC設立準備会開催 3/5 明大昭和会マスコミ部会設立準備会。TV・ラジオ・広告エンタメ・新聞・各業界から10名参加。
第1回設立総会 銀座ライオンにて開催。27名が出席
明大昭和会マスコミ部会として発足。
初代部会長故吉川英司(フジTV・常務)
事務局長木村武(ベイツジャパン部長)
1983 設立総会 ホテルニューオオタニにて開催。約200人が出席
駿台ジャーナリストクラブ(SJC)が正式に発足。
初代会長渡辺宏(TBS副社長)
主な来賓:小島憲総長、三木武夫元首相、飛鳥田一雄元社会党委員長
7/7 ニューメディアCATVフォーラム開催。
(サンケイ会館)50名出席
1984 第2回総会 ホテルニューオオタニにて開催。約100名が出席
会員数は四百数十名
1985.7 第3回総会 明治大学創立100周年を記念して新築された大学会館にて開催。(母校初開催) 時事講演「波乱含みの中曽根丸」フジTV解説委員竹内貞夫 6/28 第4回総会ホテルグランドパレスにて開催。 70名出席
第2代部会長坂本哲郎(フジTV常務)
1986
1987
1988
1989 第8回総会 赤坂月世界クラブにて開催 70名出席
第3代部会長故長井肇(毎日放送常務)
11/10 第1回ゴルフ懇親会 箱根C・C
優勝大西敏勝(IPA社長)ゴルフ懇親会は、恒例となり現在まで60回をこえている。
1990
1991
1992 2/9 第10回総会開催(大学会館)。
会の名称を「駿台ジャーナリストクラブ」(SJC)から、「駿台マスコミクラブ」(SMC)に変更
1993 SMCニュースNo.2発行 

会長秋元秀雄氏に

4/16 第12回総会 明治大学会館80名出席
名称を、明大マスコミ会に変更。
第4代会長堀威夫(ホリプロ会長)
1994
1995
1996 9/27~28 備前焼ツアー岡山県備前市
明大OB備前焼人間国宝藤原雄(故)の窯元訪問を夫婦同伴、20名参加。
1997 7/23 第15回総会明治大学会館60名出席
第5代会長中森久之(朝日放送常務)
SMCとの交流が増える。
1998
1999 1/22 新年交流会SMCと明大マスコミ会が合同新年会を大学会館で開催。約90名参加
2000 1/27 明治大学マスコミクラブ発足総会 明大リバテータワーにて開催
初代会長 木元尚男(TBSOB)
理事長 目賀田武蔵(ANBOB)
6/19 第1回マスコミ就職セミナー開催 以後毎年開催
2001
2002
2003 1/29 第3回総会 第2代会長河合公八郎(NTVOB)
2004
2005 1/26 第6回総会 第3代会長木村武(宣研常務)
理事長斎藤柳光(日刊スポーツ)
2006
2007
2008
2009 1/28 第10回総会第4代会長斎藤柳光(日刊スポーツ)
2010 4/23 第1回MMCサロン開催
2011 1/25 第12回総会第5代会長本村隆(TBS部長)
2012 1/21 MMC創立30周年記念・第13回総会開催
2013 1/25 新年総会で 規約大幅改正、役員改選、役員体制変更
2014 1/30 新年総会で 役員一部改選
2015 1/26 新年総会で 規約改正、役員改選、役員体制変更

 

明治大学マスコミクラブ(MMC)設立までの生い立ち

木元 尚男

本学に、1980年初め頃、期せずしてマスコミの関係者による団体が二つ誕生した。一つは「駿台ジャーナリストクラブ」、もう一つは「明治大学昭和会マスコミ部会」であった。

駿台ジャーナリストクラブの設立には、荻須勲氏の熱意と行動力に負う所が大きい。中でも、大学の広報課を事務局としたことは、この団体のその後の活動に大きな力となった。
昭和の中ごろまでの明治大学は、新聞社、雑誌社、通信社等に多くの人材を排出したが、その後新聞出版業界を目指す学生が少なくなったこともあり、駿台ジャーナリストクラブの会員は高年齢者が多かった。

昭和中期といえば、高度情報化時代の萌芽期であり、若い人達はその世界に生き甲斐を見出していた時代でもあった。「駿台ジャーナリストクラブ」初代会長の渡辺宏氏(当時東京放送副社長)は、旧来のマスメディアの枠にこだわらず、広く情報産業に携わる若手を糾合するべく、会の名称を「駿台マスコミクラブ」と改名、読売新聞社で渡辺恒雄主筆と同期の敏腕記者であった評論家の秋元秀雄氏に次代会長を託した。その頃「明治大学昭和会マスコミ部会」も「明大マスコミ会」に改称した。
その後渡辺宏氏は、二つのマスコミ団体の一本化を提唱。私は、当時両団体に所属していたが、渡辺宏氏は、私にとって大学の先輩であると同時に、東京放送では上司であった。私は渡辺宏氏の意向を受け、両団体の役員に一本化の打診を開始した。1996~7年頃であったと思う。

それからかなりの紆余曲折を経て、20世紀の最後の年、駿台マスコミクラブ会長秋元秀雄氏と明大マスコミ会前会長堀威夫氏、同クラブ事務局長木村武氏が会談、合併を決めるに至った。
しかし最後まで新組織の名称がネックとなった。明治のOB会は「駿台会」を称している。慶応OB会は「三田会」であり、早稲田OB会は「稲門会」である。最終的には若手の意見で「明治大学マスコミクラブ」となった。
本会が、現今の高度情報化社会に、大きな役割を果たすものと期待して止まない。

 

明大マスコミ会誕生のいきさつ。

木村 武

日本経済が右肩上がりの高度経済成長下、1982年10月27日に誕生した明大マスコミ会は、明大昭和会の事業部会の一つとして、マスコミ産業全体、新聞、出版、テレビ、ラジオ、広告、映画、制作、エンターテイメントを網羅し発足した。当時マスコミ業界は、石を投げれば早稲田にあたるといわれるくらい早稲田が幅をきかせていたが、明治も言わないだけで、かなりの数のOBが活躍していた。

人の絆

たかが明治、されど明治、と少し醒めた愛校心に火をつけた人が登場した。
故岡野加穂留先生(元学長)は、これからの情報化社会におけるマスコミの成長と重要性に着目し、学内ではマスコミ研究会を発足させ、学外では、同時に発足した駿台ジャーナリストクラブとともにに多大な協力をいただいた。初代会長の故吉川英司氏(フジTV専務、テレビ新広島会長)は、岡野先生と同窓の縁があり力をいれていただいた。吉川会長は、遊び心を大切にされ、その大きな人間的な魅力により、業界で活躍された多くのOBがはせさんじた。2代目会長坂本哲郎氏(フジTV常務、岡山放送会長)3代目会長 故長井肇氏(毎日放送取締役)、4代目会長 堀 威夫氏(ホリプロ会長)、5代目会長 中森久之氏(朝日放送常務)と20年続いた。
10年前に駿台マスコミクラブと合併し、明治大学マスコミクラブ(MMC)がスタートした。初代会長 木元尚男氏(TBS OB)は、合併前の両クラブに参加いただきMMCの基礎つくりに多大な貢献をいただいた。その歴史は、現在本村会長と、組織を支える常任理事まで引継がれており、全会員の「人の絆」と愛校心がMMCを支える原点になっている。